グローカルヒストリー
~「家業」から「地域創造カンパニー」へ~

先ず当社の創業時の屋号である「古桝(こます)」の由来は江戸時代に本家が米屋を生業としていたことに起因します。「舛」は、当時は量を計るために用いられ、その「舛」で米の量を計ったことから屋号になったと聞き及んでいます。
いつから本家が金物を生業としたのかは定かではありませんが、当社の初代徳蔵が本家より分家独立し、神田町で金物の商売を始めたのは明治12年のことです。初代、徳蔵は早死した為、残された妻トリは非常に苦労をしたらしいですが、そこは長岡藩主牧野様の御用商人の家から嫁いできた由、商人としての技量もあったのではと思います。苦労の末、無事二代目、徳治に家業を引き継ぐことが出来ました。
三代目、貫一は日中戦争とその後の太平洋戦争に出征、陸軍主計准尉として辣腕をふるいましたが、終戦後、復員した当時は物の無い時代ゆえ、商売としては売る物にも事欠く状態でありました。幸い旧くから親交のあった、大阪、名古屋の業者などから金物器物等の商品を優先的に仕入れることが出来、また流通の面でも日本通運の協力も得て、配送にも便宜を図ってもらい、商品があれば飛ぶように売れた時代背景もあって商売も軌道に乗り、新潟県の金物卸売業としての地盤を築き上げました。

四代目の進は、大学卒業後、淀川製鋼所の窓口商社に勤務した後、当社に入社。当時の家業であった家庭金物の分野から、新たに建築資材部門を開拓構築し高度成長による住宅産業の発展に伴い、徐々に業態を移行していきました。また業態の変化に対応する為、社名を古桝屋金物から、古桝グローバルに変更。それと共に、本社を神田町から高見町、さらには北陽産業団地へと移転し、次なる飛躍の為に、新たなビジネスモデルを構築していくこととなります。
五代目に当たる今井進太郎は、大学在学中より「マーケティング」に興味を持ち、卒業後は東京でコンサルティング会社に入社。平成18年には、コマスマーケティング株式会社を設立し、地域の中小企業の販売・営業活動を支援するサービスを展開。また、子育て支援サービス「トキっ子くらぶ」を立ち上げました。
平成25年には、歴史ある古桝グローバル株式会社とマーケティング事業で伸長するコマスマーケティング株式会社を経営統合し、新しい時代の地域を創る「地域創造カンパニー」グローカルマーケティング株式会社を誕生させました。
当社の社名であるグローカル建材の「グローカル」とは、“Think Globally, Act Locally”(地球規模で考え、自分の地域で活動する)という言葉を合せた造語です。
家業から発展し、先人が紡いできた歴史を礎に、私たちは、グローバルな視野を持ちつつ、時代の変化に対応し、地域に密着した商品・サービスをこれからも提供していきます。
グローカル建材株式会社
代表取締役 今井慶子
会社概要
社名 | グローカル建材株式会社 |
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代表取締役 | 今井 慶子 |
スタッフ数 | 20人 |
資本金 | 1,000万円 |
所在地 |
長岡本社 |
取引銀行 | 第四北越銀行 神田支店 |
事業内容 |
■屋根・外壁・雨樋・その他建築資材販売 |
沿革
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明治12年
創業。初代今井徳蔵、本家より分離独立し長岡市神田町にて金物小売店を営む
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大正2年
2代目今井徳治が古桝屋商店として家業を継ぐ
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昭和21年
3代目今井貫一戦地より復員後、金物卸販売を再開
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昭和27年
古桝屋金物株式会社に法人化
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昭和47年
今井進、専務取締役として古桝屋金物株式会社に入社
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昭和61年
4代目今井進、代表取締役に就任
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平成元年
本社を長岡市高見町へ移転。金物販売から建築資材販売へ全面移行
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平成5年
古桝グローバル株式会社に社名変更
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平成7年
長岡市北陽に新社屋、工場、倉庫を完成させ移転
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平成18年
長岡市北陽に新社屋、工場、倉庫を完成させ移転
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平成18年
5代目今井進太郎がコマスマーケティング株式会社設立
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平成20年
創業130周年
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平成25年
古桝グローバル株式会社とコマスマーケティング株式会社が経営統合し、グローカルマーケティング株式会社が誕生。今井進太郎が代表取締役に就任
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平成30年
創業140周年
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令和2年
グループ化に伴い、グローカル建材株式会社に社名変更